by 川野みみな (mimina@hauN.org)
考えてみれば、番組が始まるのに合わせて、わざわざ高価いビデオデッキを買ったのだった。綺麗に録画したいと言って。始まっていないから面白いかどうかもわからないのに、雑誌の記事だけ読んで、勝手に気分を昂ぶらせていた。
そのころ住んでいたところでは、東京や大阪の11日遅れで番組が始まる予定になっていたから、大阪の番組が見られる先輩にすこしだけ話を聞いてから番組を見ることになった。ヒロインの芝居がどうだとか。
その日の放送時間にはフランス語の講義があったので、初めての放送はその日の晩に見た。オープニングの冒頭で仰天した。そのあとに番組タイトルが出てからは、まあふつうだったけれど。冒頭だけはこま送りで何回も見た。
たしかにヒロインの演技が不安定だったし、脇にもゲテモノがいたけれど、なんだか得体の知れない番組が始まったように思って、ひどく昂奮した。少女ものといってもギャグものといっても変身ものといっても何かを取りこぼす、よくわからない代物だった。
番組を作っているスタッフには、この番組が始まるまで同じ時間帯にやっていた番組の人たちが横滑りしていたから、期待をしていた一方で、この調子で大丈夫なのかとも思った。それまでやっていたのは、割とオーソドックスな少女ものだったから。
番組としてはなかなか好評だったようで、1年のはずだった放送期間が半年延長になった。延長後は、原作の漫画に沿ったかたちになって、ヒロインの変身がなくなった。このほうが番組としてはまとまりがあるけれど、それまでの煮ても焼いても食えない雰囲気が薄まったように思った。
番組の放送終了後も新しい話がビデオで発売されて、結局足掛け3年ずっとこの番組のことを追いかけることになった。番組のLDボックスも、バイトしてお金を溜めて買った。
就職してからも、この番組についての同人誌を作ったりした。大学の同輩の実家に押しかけたり、朝から晩まで秋葉原の外れにある図書館に籠もったりして原稿を描いた。原稿のコピーまでしたところで体力が尽きて寝込み、製本作業を人に押しつけたこともあった。あちこちにたくさん迷惑をかけた。
この番組の演出をしていた人たちの名前を、その後あちこちで聞くようになった。テレビ番組の助監督だとか、監督だとか、劇場版の監督だとか。いまもいくつかの番組で名前を見かける。ただ、この番組の監督をしていた人がいま何をしているのかは知らない。
この番組のキャラクターデザインを担当した人はいまでもその仕事をしているけれど、この番組では作画監督のうちのひとりだった人が、いまではキャラクターデザイン担当に出世している例もある。自分の贔屓にしている人だったから、話を知ったときにはうれしくなった。
役者勢もあちこちで見る。脇役のゲテモノだった人は、先週始まった大河ドラマの主役に抜擢された。まともなほうの脇役の人は、いまもゴールデンタイムの番組で仕事をしている。ただ、ヒロインだった人については、やっぱりいま何をしているのか知らない。
あのとき見た番組はいまでもあのときのままに決まっているけれど、いま見てもそのころと同じように思うかどうか。同じであってほしいような、違っていてほしいような、よくわからない。
何にしても、あれから10年経ったのだ。この先10年はどうなるのか、どうするのか。
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